ニコニコ動画における「地元」

 地元を一言でいうと、高校野球で応援する高校は地元の県の代表である場合が多い。とかそんな感じ。

ニコマスの例

 ニコマスにおける地元=デビュー月。

なぜ唐突に地元論なのか

 この辺のエントリ読み返してたの。
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003627.html

後半で感銘した一節。才能とは何か。


どの世界においても若い人たちが嫌になる気持ちは理解できる。周りの全員が同じことをやろうとしたら、努力が報われる確率は低くなってしまう。今の時代の大変なところだ。何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続してやるのは大変なことであり、私はそれこそが才能だと思っている。

この文章を読んで、そうした継続できる情熱が育ちにくくなっているのが現代なのではないかと思った。情報化社会では、個人の才能はすぐに全国、全世界の統一ランキングのどこかに位置づけられてしまう。最初から上位になれる人は稀だ。大抵は何千位や何万位から始まる。それでは嫌になってしまう。
 
かつては統一ランキングが見えなかったので、各地域のトップ、地域の秀才がそれなりに満足して存在することができたように思う。地域のトップに到達すると、さらに上の広い世界のランキングが見えて、新たな挑戦が始まっていた。徐々に拓ける世界展望というモデルが、多くの才能を育てていたのではないか。

何が言いたいのか

 お互いが共感できるような、同質性が高いユーザーを囲う「地元」というクラスターをニコニコ動画に作ると、どうなるんだろうと思った。同質性が高いってのは、同じ時期にニコニコ動画に入って、同じようなジャンルの動画を見てて、同じようなジャンルの動画を投稿し、投稿した動画は同じくらい再生数が伸びる。そういうユーザーの集まり。

ネトゲーのマッチング的な

 上の派生エントリではネトゲに話が及んでて
http://artifact-jp.com/mt/archives/200507/networkworldranking.html
 要はマッチング。自分と近いユーザー同士をマッチングさせる。

どっちかって言うとニコニコ同窓会?

 たぶんそんな感じ。